2011年03月06日

タバコ会社の言う“証明されてない”は嘘

参考:タバコ・ウォーズ―米タバコ帝国の栄光と崩壊等より

タバコ会社の使う「タバコと発がんの関係は証明されていない」という言葉とは何か。これは科学そのものの否定です。

科学には統計的事実などは殆ど欠かせない重要性を持つものです。統計や疫学は、既に実際に起きた事をまとめたものです。タバコ会社が好んで使う「単なる統計に過ぎない」といった言葉は科学の基礎も事実も無視した戯言です。

タバコ業界は業界防衛のために共謀して作った組織「タバコ産業研究委員会(TIRC)」をはじめとして、10億ドル以上を軽く費やし、喫煙と癌は無関係とPRし続けてきた。タバコ産業が関わる研究は、科学的研究よりも、弁護士とPR会社の専門家たちがタバコ業界を守るために詭弁を発するための場として利用されていた。(タバコを守ろうとする専門家の98.8%はタバコマネーを受け取った事が確認されている。

タバコ会社の経営者は、PR専門家と弁護士たちに、タバコの有害性の否定は「まだ証明されていない」と言うのが良いと教えられた

ある特定の肺癌患者の遺伝子と組織を分析し、何年何月何日に吸ったタバコが肺細胞のDNA複製メカニズムに重大なダメージを与えたのか?修復不可能なレベルに達したのがいつの喫煙なのか?欠陥のあるタンパク質を生み出しはじめたのはいつの喫煙の結果か?を割り出すという意味では、証明されていない。(多くの人は小さい頃これに似た言い回しをよく聞いている事を思い出すはずです。小学生同士がよくやる屁理屈合戦の時の事を。)

タバコ会社が“証明”という言葉を使うのは、この意味に限定される。喫煙と病気との因果関係を、個々のケースで、全ての生化学的な段階で明らかにせよと要求し、訴訟を起こした人々に対し「原告側喫煙者が特定の腫瘍になった過程を科学的に裏付ける一連の医学用写真を法廷に提出せよ」と求める。

この手の“証明”が全てに必要となると、世の中の科学など成立し得ない。

例えばタバコ会社自身が法廷用に作成した何万ページにも及ぶ研究調査文書にも、その中で一度も、その“証明”基準を用いていない

科学ではなくPRの仕事、かつ煙草と病気というテーマでしか用いられることのない“証明”。

99・9%は仮説にあるように、飛行機が何故飛ぶのか定理などでは証明出来ない。しかし実際飛行機は飛んでいるし、毎日何万人も乗せ、社会が機能してる。

事実、喫煙と密接な人に限って、他の殆どの生活習慣と比べものにならないほど多く肺癌やCOPDなどのいわゆる多種のタバコ病を発症している。飛行機が飛ぶのと同様、既に起きてる事実なのです。科学とは事実を根拠として成り立つ。

世の中が科学で動いているにもかかわらず、タバコ会社だけが科学を否定した“証明”を要求する。

タバコ会社の科学部門責任者でさえ、科学的証明とか因果関係に関する会社の主張は「破滅的と言えるほど酷い」と率直に書いている
「科学的証明なんていうものは決して存在しないし、社会問題についての法律・政治的な行動の基盤にすべきものではない。科学的証明を要求する事は、単に問題に対し手を打たぬ為の常套手段に過ぎない
「因果関係の一見に関して、タバコ業界が一般大衆から拒絶されるような結果を招き、追い込んだ原因は弁護士達による業界支配」
「会社はタバコは安全だから、タバコを今より安全なものする必要性などない、と熱心に言い続けるのみで、結果的にタバコ業界は“証明”を求めるという、不可能でもあり、馬鹿げてもいる手段をとるしかなかった」

タバコ会社の攻撃は科学そのものに向けられ、私たちが意志決定をするために科学を使うという考え方がターゲットにされた。

勿論、タバコ会社の経営者はタバコと病気について科学的な議論など実際にはしない。ただ他の可能性のある事に転嫁するのみ。

タバコ会社だけが主張する悪魔の証明のような“証明”など、全く世間では相手にすべきではない、取るに足らない戯れ言なのです。

こういった嘘をはじめとして、数々の捏造や問題行為によって、海外ではタバコ産業は大幅な規制と懲罰的罰金の支払いを命じられました

ところが日本では、JTが海外のタバコ業界のやり口を模倣・改良して捏造とPRを続けています。財務大臣が50%の株式を持つから裁判に負けないという自信からか、非常に愚かで、世界的な常識から見て恥じる必要のある、倫理の欠如した経営を続けています。


参考:タバコ・ウォーズ―米タバコ帝国の栄光と崩壊 第二章 贋情報機構の誕生 32〜35ページよりノーカット引用
もともと会社を守るために始められたタバコ業界のPRキャンペーンは、ついには科学的データやそれを生み出した科学者だけではなく、科学自身をも攻撃するようになった。タバコ業界側の人々は、自らの主張が正しいことを示すために、科学的方法の信頼性に疑いを投げかけ、相手の結論が導き出される基盤そのものを攻撃するという行動に出たのである。

その顕著な例として、1953年にタバコ業界が、喫煙と病気の関連は真実のものではなくて「単なる統計」だ、と提唱したケースを挙げることが出来る。これは科学的な全ての推論の基盤になるものが、常に「統計的」なものであることを無視したものである。原子にせよ、癌にせよ、何かを科学的に証明しようとする場合は、まず個々のケースにおいて観察することが必要であり、多くのケースを通じて結論を導き出すものなのである。「ペニシリンがバクテリアを殺す」ということを証明するためには、細菌培養用のペトリ皿の上で相当な量のバクテリアをペニシリンが殺すことを実験によって確かめなければならない。だからといって、常に全てのバクテリアを殺すわけではない、こうした情報を活用するのに十分なだけの頻度を持って起こるものなのである。

タバコ会社の経営者は、PR専門家と弁護士たちに、シガレットの有害性を否定する方法としては、「まだ証明されていない」と言うのがよいと教えられてきた。しかし、これまで科学が何かを証明してきた通常の基準で言えば、シガレットの有害性は十分証明されているのである。常識的には、証明されていることは誰の目にも明らかなのだ。

しかし、それでもなお、もう一つの別の意味では照明されていない。ある特定の肺癌患者の遺伝子と組織を分析して、何年何月何日に吸ったシガレットの煙が肺細胞のDNA複製メカニズムに重大なダメージを与えたのか、を割り出すことに成功した科学者はいない。ダメージが蓄積され、修復不可能なレベルに達したのがいつの喫煙なのか、欠陥のあるタンパク質を生み出しはじめたのはいつの喫煙の結果なのか、というところまで割り出すという意味では、証明されていない。

タバコ会社が「証明」という言葉を使うとき、その意味は、こうしたことなのである。タバコ会社は、喫煙が病気を引き起こしていると主張する人々に対して、喫煙と病気との因果関係を、個々のケースで、全ての生化学的な段階で明らかにせよと要求する。そして、訴訟を起こした人々に対しては、原告側喫煙者が特定の腫瘍になった過程を科学的に裏付ける一連の医学用写真を法廷に提出せよ、と求める。それが「科学的」な意味での証明である、と。

だが、もしこの手の証明が実際に必要だとするならば、科学も、またその他の現代の学問も、一切存在しなくなる。こうした基準は、たとえば、タバコ会社の経営者が会社の命運を決めるときに使う基準ではない。経営者は特定の銘柄を、いかにして、どこの市場に出すかを決めるときに、また喫煙者にとって、どんな味でどんな量がよく、どんな感覚の印象を与えることが必要かを決めるために、統計を使っている。彼らはビジネスのあらゆる面でさまざまな種類の数字を使うが、その数字の中には、自らが作った「証明」基準に合致するものなど一つもない。私はタバコ会社が法廷用に作成した何万ページにも及ぶ研究調査文書を読んだが、その中にただの一カ所も、そうした基準を用いているところはないのである。それはPRの仕事をするものの祈りでしかなく、しかも煙草と病気というテーマ以外には用いられることのない基準なのである。

長年、ブリティッシュ・アメリカン・タバコ社で科学部門の責任者であったシドニー・グリーンでさえ、未公開の論文の中で、科学的証明とか因果関係に関する会社の主張は、「破滅的と言えるほど酷い」と率直に書いている。「いずれ、シガレット産業は因果関係の問題を力説するあまり、反喫煙勢力をむしろ逆にそそのかしたと言われる日が来るのかも知れない。科学的証明なんていうものは決して存在しなかったし、今も存在しないし、また社会問題についての法律的や政治的な行動の基盤にすべきものではない。科学的証明を要求することは、単に問題に対して手を打たぬ為の常套手段に過ぎない」

グリーンは「因果関係の一見に関して、タバコ業界が一般大衆から拒絶されるような結果を招き、そして業界を特に難しいポジションに追い込んだ原因は……弁護士達による業界の支配である」と言っている。「会社は自らの製品をより安全なものにしようと努力していたが、同時に、そうする必要性などないのだと熱心に言い続けなければならなかった。結果的にタバコ業界は、“科学的証明”を求めるという、不可能でもあり、馬鹿げてもいる手段をとるしかなかったのである」

このようにして、タバコ会社の攻撃は科学そのものに向けられた。私たちが意志決定をするために科学を使うという考え方がターゲットにされた。どんなに科学が進んだとしても、ある一瞬において、絶対に確実なものはない、という具合である。

もちろん私たちは、タバコ会社の経営者がタバコと病気について科学的な議論など実際にはしないことを、よく知っている。彼らはただ、いろいろな疑わしい可能性のあることを議論しているだけなのだ。

とどのつまり、大衆に対するキャンペーンの効果は、誤解の度合いで測定されると言うことができる。自分たちの行動について、許すか許さないかを決定するときに、我々は平衡感覚に頼るlタバコ会社が攻撃したのは、その点であった。タバコ会社のしつこい売り込みが人々の物事への平衡感覚をいかに歪めているか、その例を挙げよう。どれくらいの人が喫煙していますかと聞かれたとき、多くの回答者は実際の二倍くらいを予測する。アメリカで健康上の優先すべき順位トップテンのなかで喫煙問題は何位かと尋ねられると、多くの人は10位ぐらいだろうと回答する。実際には、家の火事では毎年6000人の死者しか出ていないのに、喫煙が原因で40万人以上もの人々が死んでいるのである。タバコの害については緊急度が高いということの認識が一般には欠けていることが、こうした結果を生み出しているのだ。
posted by 美人薄煙 at 23:32 | Comment(0) | タバコ資料・考察・他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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